映画・読書感想記事は基本的にネタバレです。ご注意ください。

2005年04月07日

「海流のなかの島々」ヘミングウェイ

フローズン・ダイキリ.jpg

夏に近づくと読みたくなる小説がある。ヘミングウェイの「海流のなかの島々」だ。
いわずと知れた有名作家で人気の小説も「日はまた昇る」とか「誰がために鐘は鳴る」とか短編とかたくさんある人だ。だけど私が何度も読み返してるのは「海流のなかの島々」だけ。

マッチョな小説家さんのものだから、先に上げた有名小説はそんなに読んでもうれしくないけど「海流のなかの島々」にはヘミングウェイと思しき壮齢の主人公がなんとなく倦怠感を漂わせて暮らしており、夏休みに訪ねてくる3人の息子との交流がべたべたしない男らしさで描かれている。
あの有名なフローズン・ダイキリも登場して読んでるといつも飲んでみたいと思うのだが、この年になってまだ飲んだことはない(とほほ)
読んでるだけでまるでキューバのその海の風が吹いてくるのを感じるかのような文章はまさに文豪だと感じる。主人公は小説家でなく画家という設定になっていてそれもまたぴったりしてる。そしてすでに年を感じさせる男は昔の美しかった女たちを思い出す(たとえばディートリッヒなのだろうか)その描写もいかにもかっこいい男だったかのようで憎い。

主人公以外にもちょっとかっこいい男の人がでてきたと思う。彼は主人公の3人の息子に大きなビーフステーキやかちかちに冷えたアイスクリームを食べさせてくれたっけ。かちかちのアイスクリームというのが暑いキューバの空の下でホントにおいしそうだ。

3人の息子のなかの2番目の少年が大きな魚を釣る話もあった。この子がどんなに魅力的かまたすばらしく書いてあったと思う。

この3人の息子との話の後に戦いの話がある。これは前半の海の風を感じた後に読むとよりその悲しさが増すのだ。特にそのラストは。
ヘミングウェイの作品の中でやはり一番好きな小説である。
posted by フェイユイ at 18:14| 香港 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月06日

森本哲郎

10代の時には誰かしら指針となる人がいるものだ。またはいて欲しいものだ。
小説ということでなく、10代の時に衝撃を受けた人といえば最大の人が、森本哲郎さんだ。なぜ彼の本を読んだかはもうすでに忘れてしまったが、特に高校生の時読んで、それまでの価値観が全て変わった、と感じた。ヨーロッパ・アメリカの文学・芸術・映画などに浸りきっていたその頃の私が受けたショックは大きかった。森本さんの著作は多いが、中でも「ゆたかさへの旅」を読んだ時は自分自身が大きく変わったようにすら感じた。
この中で森本さんは、自分が働いてばかりで雑用が多いことを嘆いている。そして週に一度の休日である日曜日の午後2時を憎んでいる。それは休日がすでに残り少ないことを思い知らされる時間だからだ。そういえば最近また月曜日に自殺者が多いというニュースがあった。理由は休日が終わったから、という。この本が書かれたのは1970年前半のようだが、そういう気持ちは30年以上たっても全く変わっていないということだ(というか変わるわけもないのか)そして仕事大好きの青年と日本に絶望した青年、かわいらしい「うさぎ」にイメージされる女の子、悠々と人生を送っている中年男性、不思議なオランダ人らとの会話のなっから、「ほんとうのゆたかさ」とは何か、と思索していく。
時代的にヒッピーや全共闘のにおいがややあるものの、今読み返しても、古いという気はしない。
私が特に感銘を受けたのは、0の文明、1の文明、2の文明、という考え方だった。0は勿論、インドを表す。全てを飲み込み、何がやってきてもかければ0になる。1は1神教の考え。1つのものしか信じないということだ。例えば、キリスト教・イスラム教、科学というものも1の文明になる。2の文明は、中国の陰と陽の2元論。これには、まいってしまった。
そしてもうひとつは大いに栄えたモヘンジョ・ダロがなぜ滅んだかという謎。下水までが完備された清潔な都市がなぜなくなってしまったのか。それは掃除しすぎて自分まで掃除してしまった、という論理なのだった。
これを読んだからといって、インドへ行ったわけでもないし、何かしら生活を変えたわけでもない。が、それまで、キリスト教の国のものばかり信奉していた私には大きな変化があったと思う。
初めて読んだ時、少女だった私は、大いに感銘を受けたものだが、40歳を越えてまた読んだ今、言葉はますます、深く響いてくる気がする。前と同じで生活を変えてしまうことはないのだが、このことを知ることが出来てよかった、と今も思う。
posted by フェイユイ at 20:35| 香港 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「もうひとつの国」

集英社文庫、ジェームズ・ボールドウィンというこの黒人作家の小説「もうひとつの国」を高校生の私は何度読み返したことだろう。
ちょうど吉田秋生の「カリフォルニア物語」を読んでいたときでもあり、私が最もアメリカに傾倒していた時期だ。(もっと小さい時はむしろヨーロッパの小説を読むことが多かった、と思う)夢見るおとぎの国のようなヨーロッパと違い(あくまで少女の夢想です)アメリカはもっと力強く、ある意味、粗野で暴力的な魅力をもっていた。それは音楽でも映画でも小説でもファッションでも洗練されたものじゃない激しさで人の心をつかんでいった。
「もうひとつの国」という小説には一体何が書いてあるのだろう。何度も読み返した、といっても私にはそれが何なのかはっきりとはいえない。その中には黒人と白人との葛藤、セックス、孤独、麻薬、貧しさ、男娼、人種差別、などが描かれ、憧れるような要素は殆どないといっていい。人々は華々しく成功するわけでもないし、愛が永遠に続くというような純愛もない。
しかしそういうものこそが田舎の女子高校生が夢に思う世界だったのかも知れない。
posted by フェイユイ at 13:29| 香港 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月05日

森 茉莉

日本の最たる耽美の作家といえば森茉莉さんを置いて他にないだろう。その完璧な美文は読むものを酔わせてしまう。
耽美な同性愛ものを愛する方なら「恋人たちの森」は必読だろう。私もその世界に恐る恐る入り込み、美の境地を堪能したものです。あのような美中年と美青年を現実に見たら、きっと恥ずかしくて隠れちゃうなあ、で、じっとみますけど。
むしろ私がひたすら読みふけったのは「甘い蜜の部屋」のほうですね。おや、なにげに「ムーダンの妖しの小部屋」に雰囲気が似てなくも・・・。
主人公モイラの幼い頃12歳までが特に好きです。ピアノ教師アレキサンドゥルとの話くらいまでですね。キャラクターとしては馬番の常吉ことドゥミトリイがすてきですねえ。小さなモイラに馬のえさをとってあげてるシーンなどなかなかよいです。それに引き換えモイラの夫になる天上さんはかわいそうです、かっこ悪くてさ。恋人役のピータァ君は意外とあんまりよくないんですが、これはパァパを引き立てるためでしょうね。これを映画化というのは、不可能なのでしょうねえ。少なくとも今の日本では。中国でなら出来なくもない気もしますが。どうでしょうか。
posted by フェイユイ at 13:31| 香港 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月16日

ヤン・ウェンリーとお茶を

銀河英雄伝説のヤン・ウェンリーと紅茶を飲みたいものです。ラインハルトのファン、キルヒアイスのファンなど色々いらっしゃるでしょうが、私はヤン・ウェンリーとのんびり紅茶を飲みたいものです。でもでもミッターマイヤーの指揮下で忙しく働くのも憧れますが(しかし実際は大変でしょうな)
posted by フェイユイ at 19:33| 香港 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月24日

「飛ぶ教室」

小学・中学生の時、一番好きだった本は、アメリカやヨーロッパの少年少女小説だったろう。忘れてしまった本の方が多いので、有名な覚えてる本では、マーク・トウェイン、宝島、十五少年漂流記などなど、特に「〜の冒険」とついてるモノには飛びついた。
その中で、ケストナーはやはり最も心に残る作家だ。「飛ぶ教室」はそのタイトルも興味を引くし、描かれている少年たちの悩みや友情は色あせることはないだろう。記憶のみでかいてるが、「飛ぶ教室」は冬の景色が見えるようだ。
特に、寄宿制学校にいるマルチンがクリスマスにお金がないことで家に帰れないと泣くシーンは大人になった今ではよけいに涙を誘う。そして貧しくても懸命にクリスマスのプレゼントを考える彼にじんわりなった女の子も少なくないだろう。
クリスマスって言うと華やかで楽しいものなんだけどなぜかお話では悲しい話、心を打つ話が多いのは、なぜなんだろう。寒い寒い冬の夜に、心温まる話を皆聞きたいんだろうな。
posted by フェイユイ at 23:43| クアラルンプール ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月06日

司馬遼太郎

「歴史小説」と言うタイトルでないのは、私がこの分野は司馬遼太郎しか読んでないからです(笑)しかしこの方も夢中になりましたあ。最初はやはり「燃えよ剣」ですねえ。新撰組、今も人気です。「燃えよ剣」の土方歳三くらいかっこいい男はちょっといない、と今も思います。別に英雄だとか歴史に残る働きをしたとかはないんでしょうが、そんなん関係なしにかっこいい。
その後「竜馬がいく」を読んだけど坂本竜馬は全然興味もてなかった。なんツーかすごく男らしくてかっこよすぎなんだよね(これ悪口です)
突然違う話ですが、宮本武蔵も好きになれなくて最近人気があったのがよく判らんとしかいえない。しかしそれはあの絵のせいかもね(漫画じゃなくて本人の)
それにひきかえ土方さんに女性ファンが多いのはやはりあの写真のせいでしょう。小説プラスあのお姿で心動かされなかったとはいえますまい。
それは、あのアルチュール・ランボーの如し。
ナンカ司馬遼太郎さんからはなれてしまった。いかん。
「人斬り以蔵」(すごいタイトル)「国盗り物語」「風神の門」「坂の上の雲」などが好きな作品です。それから色んな対談やエッセイみたいなのも大好きでよく読みました。国についての論評なんかもおもしろかったですね。特に「草原の記」というモンゴルについて書かれた文章はすばらしくて大好きでした。
posted by フェイユイ at 22:16| クアラルンプール ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月05日

今日は推理小説について

推理小説も好き、といいました。そう。推理モノはまためちゃめちゃ読んだなあ。これもまたオールドファンのセレクトですから、シャーロック・ホームズに始まって、江戸川乱歩(しかしこの人推理モノかね)横溝正史、アガサ・クリスティ、エラリー・クイーン、E・S・ガードナー、ヴァン・ダイン、チェスタトンなんかである。ウィリアム・アイリッシュやガードナーなんかも読んだけどやはり本格推理小説と呼ばれるものが多い。はっきり言って、SFより、遥かに読んでるし、むさぼり読んだといっていいくらい。忘れた作者の方が多いと思う。(日本の作家もいっぱい読んだけどなぜか殆ど忘れた)(あ、仁木悦子、都築道夫なんかかなあ)
しかし一番好きな探偵はと言ったら、シャーロック・ホームズだから、コナン・ドイルだけ読めば事足りるのかも。アガサ・クリスティでは、ミス・マープルがいいですね。クイーンはドルリー・レーンが好き。
しかし、これだけ推理モノを読んだからといって私の頭脳がミス・マープルのように鋭くなったとはとても思えない。大体読んでても犯人を当てた事はない(きっぱり)推理モノの雰囲気が大好きと言うだけの軟弱推理ファンだ。
でもそれだけに推理モノの雰囲気はすごく気になるところだ。理想はホームズの霧のロンドンなんだけど、古ーい日本のお屋敷も大好き。別に古臭いものだけでなくてもいいんですけどね。
推理小説も今はまったく読んでません。時々,TVで「コナン君」を見て、「今でも日本人は本格推理モノが好きなんだなあ」と安心するだけだ。と言うのは私が夢中で読んでた時もすでに「本格推理小説なんかを好むのは日本人くらいだ」と言う論評を読んだからだ。しかし私は日本人だからして、やはり本格推理ものをあきらめきれない。映画でもすごく凝った演出の推理モノなんか見てみたいなあといつも待ち望んでいるものである。
posted by フェイユイ at 20:01| クアラルンプール ☁| Comment(4) | TrackBack(2) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

オールド・オールドSFファン

昔、私はSF好きだった。SFと言う言葉は有名だからSFファンはいっぱいいると思ってたけど、実際SFを好んで読んでる人って少なかった。しかもいんたーねっとなんてものも(少なくとも一般には)存在しなかったので、SF好きは孤独だった。推理小説も大好きだったが、こちらはまだ、認められてたような気がする。SF好きと推理モノ好きは両立しない、と言う話も聞いたが、私的には同じくらい好きだった。
が、もし、どちらがより好きかと問われたら、へそ曲がりな私は、人気の少ない「SF」と答えたろう。

DUNE砂の惑星だったかのあとがきで、「SF好きがその喜びを誰にも言えず一人泣く」と言うファンの方の手紙を紹介してあったかと思う。私はそれを読んでみにつまされたものだ。(ハインラインだったかな、とにかく矢野徹さんでした)

SF好きと言ってもオールド・オールドファンなので、ブラッドベリ、ハインライン、カート・ヴォネガット、ヴァン・ヴォークトなんかである。日本だったら、星新一、筒井康隆、小松左京、平井和正などなど。

そんな私なので映画「A.I.」を見たとき涙が止まらなかったのは、中身と言うより、そのあまりのも古臭いSFに泣いてしまったように思う。(アレはずいぶん評価が低かったような気がする。アレに泣けるのは子供のときSFに夢中だったと言う輩だけじゃないのかな)

しかしもう今の私はSFファンとは言いがたい。もう何年も1冊も読んでないし。それなのに、もし聞かれたら「私はSF好きなんだよね」と必ず言ってしまうような気がする。
posted by フェイユイ at 00:03| クアラルンプール ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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