映画・読書感想記事は基本的にネタバレです。ご注意ください。

2006年01月28日

「知と愛」ヘルマン・ヘッセ

ヘルマン・ヘッセ。日本人ならばまずは「車輪の下」ですね。私も読みましたが、今日の話題は「知と愛」
修道院に住む美少年ゴルトムントが女性を求めて飛び出し、その美しさと若さのみで次々と女性と関係を持ち最後には高嶺の花というべき美女と結ばれるのだが、彼を待ち受けていた運命とは・・・、というお話。
男性なら何の権威も財力もないゴルトムントが次々に女性に好かれ肉体的に結ばれていく過程に大いに興味があるところでしょうが、もう一つ注目すべきがこの美少年ゴルトムントを見守る修道院の思慮深い青年僧ナルチスとの関係。
二人が一緒にいる場面は小説の中で僅かにしかすぎないのだが、美しいゴルトムントに思いを寄せるナルチスの静かな語りに心惹かれる。
身も心も疲れ果て傷ついて帰ってきたゴルトムントを優しく受け入れるナルチスが何とも言い難くよい。
映画にするならこの部分だけ切り取って女性遍歴は思い出のシーンにしたようなのを観たいものですね。思い切り自分勝手だが、これはちょっと作って欲しいね。
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2006年01月26日

「カラマーゾフの兄弟」ドストエフスキー

10代の頃はそれはもう本を読んだ。今から思うと信じられないくらいだ。そしてその殆どは忘れてしまってる。そんなものだ。
そんな中でも何回も読み返すことで覚えているものもある。その一つがドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」なんだけど、はっきり言ってストーリーを全部説明できるというようなものではない。ただあの雰囲気が好きで何回も何回も読んだものだ。推理もの的な要素があるところも魅力的だった。そしてなんと言っても主人公のアレクセイが可愛らしい美青年であるのがうれしかった。その彼と仲良くなるかわいい少年コーリャもよかった。
凄く面白い話なんだけど、今だと古い話、ということで読まれないのだろうな。勿体無いことである。ファンが聞いたら憤慨されるかも知れないがこの面白い部分をうまく使って今風に誰か映画にしてくれないものか。面白いんだけどねー。

「死の家の記録」も好きなんだけど、こちらはよけい映画にしづらいかな。と言っても刑務所もの映画って多いよね。
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2006年01月21日

「デューン・砂の惑星」フランク・ハーバート

夢中になって読んだ。
15歳の少年ポウルがなんと魅力的だったことか。公爵の息子であり、ベネ・ゲセリット(特殊な教育を施す女学校)出身の母親に教育され人並みはずれた才能を持っている。
父・公爵が領主となる砂漠の惑星デューンで待ち受けていた運命は父の暗殺によって砂漠の中に投げ出されることだった。
母親・ジェシカと共に現地の部族フレーメンの中に入りポウルはますます能力を高めていく。そしてフレーメンの少女チャニとの恋。
文章が凝っているのも楽しかった。ガーニイ・ハレックが好きで剣と音楽が得意な醜い男(と書かれていたが)なのだが素敵だったなあ。ポウルがフレーメンからつけてもらう名前、ムアドディブというのもかっこよかった。何回も読み直したんで結構覚えているな。

映画化・ドラマ化されているがやはりあの世界を描き出すのはなかなか難しいようだ。(ファンの方には悪いが)デビッド・リンチは大好きだけどあの映画は原作とは切り離して考えて欲しいものだ。
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2006年01月20日

「都会と犬ども」マリオ・バルガス=リョサ

昔、ラテンアメリカ文学全集が出た時があって、買うお金などないから図書館で借りて読んだものだ。今まで読んできたアメリカ・ヨーロッパそして日本文学とは全く違うその荒々しい文学に暫し浸っていた。
が、心底読みきっていたわけではなく、よく解らなかったり、あまりの荒々しさに閉口したりが多かった。その中で最も好きだったのがマリオ・バルがス=リョサの「都会と犬ども」である。
この小説は今はもう日本では絶版になっているらしく古本などで探して読むしかないようだ。実に惜しい。
なので以下、完全に記憶だけのものになる。

何と言っても好きだったのは何人かの語り口による交錯したその構成だ。
士官学校を舞台に上級生の下級生への酷いいじめ。それに歯向かうジャガーという名の少年。彼はケンカが強く特に蹴りは誰もが怖れる凄さだった。だがジャガーの書く文章は真面目な印象である。白人系の少年アルベルトは詩人というあだ名で呼ばれ頭の切れで勝負している。少し狡賢い一面を持つ少年だ。そしていじめを酷く受けアルベルトにも裏切られる気の弱い少年、そしてガンボアという少年によって書かれる部分は文章も荒々しく生き生きしていた。白人と混血という区別があることも知った。

ペルーと言う普段全く知る事のない国のその物語を読んでからもう随分と時間がたつのにその鮮烈な印象だけは消えていない。また機会があったら是非読んでみたいものだ。
posted by フェイユイ at 23:55| 香港 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月14日

「ウィンブルドン」ラッセル・ブラッドン

この小説は私のようなスポーツものが大好きでしかも友情とも同性愛ともつかない友愛ものを好むものには珠玉の一作と言える。

17歳の魅力的なロシア人テニスプレイヤーのヴィサリオン・ツァラプキンと23歳のこれもかっこいいオーストラリア人のテニスプレイヤー、ゲイリー・キングのテニスを通じた青春物語でありサスペンスストーリーでもある。

まるで映画のようなサスペンスが織り込まれているのだが、その要素ですら二人の深い友情を語るための道具立てになっているのだ。

二人ともすらりとしたハンサムな容姿。ゲイリーのほうが頭半分だけ背が高い。ツァラプキンはゲイリーが「スノウ」と呼ぶような金髪に白い肌。しかもシングルスの試合では敵意を持つことができずダブルスの時はパートナーのために最強のプレイヤーとなることができる天使のような若者だ。二人は一つの試合で言葉は通じずとも心を通わせる事になる。ツァラプキンはゲイリーの運転するBMWの後ろに乗り(こういう設定に私は弱い)海へ行って言葉の通じないままに話し合う。

ツァラプキンが真夜中の2時海岸をうろつきゲイリーに電話をする。「ゲイリー?」「ああ」「ラスタスだよ」電話は切られた。だが、それだけでゲイリーは、海岸へラスタス(ツァラプキン)を探しに行くのだ。

そしてツァラプキンは亡命しゲイリーと共にテニス・サーキットを回り次々と勝利を収めていく。
やがて二人はウィンブルドン・ファイナルを戦う事になる。決勝が終わったら僕は君にキスをするよ、とツァラプキンは言ってゲイリーを驚かせる。
テロリストによる試合会場の危機を救うためのツァラプキンによる頭脳プレイも見事ながら、決勝が終わった時、その愛する友人にキスを送ったのはゲイリーだった。

この視覚的な小説を頭の中で映像化したくなるのはしょうがない。ゲイリーとツァラプキンがセンターコートでキスを交わす場面を思い描くのは当然の事だろう。

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2005年10月04日

「新源氏物語」

何度も何度も読み返してしまう小説に「源氏物語」がある。勿論、現代訳されたもの。今、よく読むのは田辺聖子さんの著書だ。
田辺さんは関西の方だからより源氏物語も柔かく感じられるようだ。

「源氏物語」を読む女性は殆ど源氏の君にはさほど憧れてはいないと思う。ここまで浮気な男性に憧れを持てる女は珍しいんじゃなかろうか。源氏はあくまでも様々な女性像を描くための案内役に過ぎないと思う。女性の殆どはそこに描かれた女性像を読んでいるはずだ。

全く色々な女性が描かれたものだ。よく一番好きな女性像は?とか考えるのだろうが、私はそこまでこの人というのはないが、玉蔓はあまり好きではなかったが、髭黒の大将を選ぶ所はいいなと思う。明石の君もなんか嫌です。
好きなのは朧月夜の君、六條御息所、大人の女性ですね。弱い所もあるのですが。

ここまで面白いと、続編なんかはつまらないものですが、「霧ふかき宇治の恋」薫の君、匂の宮、浮舟の話もいいんだよね。これはまたとてもいい。現代劇などに変えてもいい話しですね。
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2005年08月18日

「悪童日記」アゴタ・クリストフ

あまり小説を読まなくなった時期に読んで衝撃を受けた一冊だ。と言っても物語りは3部作になっているのだが、これがその第一部。第2次世界大戦末期から戦後にかけて。場所はオーストリアとの国境に近いハンガリーの田舎町(らしい)双子の少年たちが祖母の家に預けられるのだが、この祖母がとんでもない人で少年たちを虐待する。が、少年たちは頭を使ってしたたかに生きていく。
と言う風に説明すると戦乱期の辛い話のようだが(辛い話には違いないのだが)何ともいえない不思議なニュアンスを持った作品なのである。
双子は生き抜くために自分たちで様々な鍛錬というものを課す。例えばお互いに罵詈雑言をぶつけるあるいは甘く優しい言葉を投げかける、そうすることで言葉に意味がなくなっていき、罵声も甘いささやきも意味が無くなる。言葉の意味をなくすことによって自分たちが傷つかないようにする。と言うのだ。彼らは互いに「牝犬の子!くそったれ!」あるいは「最愛の子!可愛い赤ちゃん」などと呼び続け言葉のもたらす痛みを和らげるのだった。

物語は非常にクールな文章で綴られる。そして双子と言うのがどういう意味を持つかが解る。
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2005年08月17日

伊丹十三「女たちよ!」「ヨーロッパ退屈日記」

伊丹十三氏の「女たちよ!」そして「ヨーロッパ退屈日記」を初めて読んだ時、こだわりのある人というのがこの世には存在するのだ、と気づかされた。
それは誰だって好みはある。だが、氏の本を読むと、食べ物・飲み物・衣服・マナー・車・英語の発音など様々にきちっとした答えを持っている、というのがあやふやな自分にはすごくお憧れであった。
時代的に日本が欧米に対してものすごく劣等感を抱いている頃なので、氏の指摘はより鋭かったのかもしれない。今と比べると色々なものが欧米に比べるとかっこ悪い時代だったのだろう。とは言え、伊丹氏が勧められているものはスタンダードなものなので、今読み返しても決して古い感覚ではなく、今でもそのまま通用することが多いと思う。
例えばカクテルの話など女性に合ったカクテルを選んであげるのが男性の楽しみ、と言うような文章などおしゃれでしかもとても美味しそうである。車などまったく知らなかった私だが、英国車のジャガーは「ジャギュア」と呼んでもらいたい、などという文章も忘れられないので、もう「ジャギュア」としか呼べない。
ヨーロッパの上質な服や靴、かばん、食べ物などを教えられため息をつくしかない田舎の少女であった。
勿論、映画に関しての例えばピーター・オトゥールに関する話なども興味深いし、色んな雑学・犬の歯の抜き方などといったおかしな話も書かれてる。
伊丹氏の魅力はその多岐にわたる薀蓄だけではなくその文章自体の妙にもあった。氏の文を読んだものは絶対その影響を受けてしまうのではないか。その個性ある文体自体が読むものを虜にしていたはずだ。実際なんだか伊丹風な文章をかくプロの作家も見受けられる。

申し訳ないことに私にとっての伊丹十三氏はエッセイストの彼であって、肝心の役者さんとしての氏を見たことがなかったのだが、後に映画監督として活躍され「お葬式」や「マルサの女」などいかにも伊丹十三氏らしい知性溢れる作品でしかも大ヒットした。楽しいおもしろい映画だった。

伊丹氏が早く亡くなられたのは残念だ。映画人としてもまた文筆家としてももっと楽しませてもらいたい貴重な人だった。
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2005年06月13日

「アヴァロンの霧」今の主人公・グウディオン(息子)

ねたばれ。

なんとなく「今」っぽいキャラクターである。優れた容貌と才能を持ち合わせながらお父さんたち世代に比べるといまいち、影が薄い。なにせアーサー王とアヴァロンの巫女モーゲンとの間に生まれ、その面影はランスロットに瓜二つ。その頭脳はモーゲン譲り、という才色兼備しかもランスロットを打ち負かすほどの腕ももっている。なのになんだか生まれつきすねている。それは父からは知られず、母からは見捨てられているというかわいそうな運命だからだろうか。育ての親が色好みで策略家のモルゴースなのも悲運だった。モーゲンもせめて違う人に育ててもらえばよかったのにね。また最愛の兄であり友人のガレスも自分の策略のために失い、美しい恋人も自分で打ち殺している。なんだか冴えない少年である。
こんなに書いてしまってるのもかわいそうな最大の悲劇の人ではないだろか。名前もグウディオンのほかにモードレッド(悪しき助言)といってアヴァロンではいい意味なんだそうだが、いかにも悪役だし。アニメなんかになったら絶対人気ナンバー1って感じだ。「今」人気あるキャラってなんとなくそういう駄目駄目キャラって感じ。すねた美貌ってとこがミソですが。
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2005年06月10日

優柔不断の2枚目・ランスロット

なんといってもかっこいいのが、ランスロット、その名も「妖精の矢」とかっこいい。主人公モーゲンも麗しきグウェンフウィファルも彼にぞっこんである。それだけでなく、アーサー王も最愛の友以上の愛情を持っているようだし、彼を最高の騎士として慕う若者も数多い。ということで男女の別なしにもてもてのランスロットである。が、そんな彼も結局不幸なのである。最愛の人、グウェンとの愛は決して許されないものなのだから。
しかしである。読んでいるとどうもランスロットは本気でグウェンが好きなのかな、という気もするのだ。作品中でも人々が言うのだが、「さっさとグウェンをさらって他の国に逃げればよいのに」そうしない理由としてアーサー王への献身と忠義があるわけなのだが、さりとて主君の妃に対して熱烈なまなざしをやめはしないのだし。神経質ではなさそうなアーサー自身、はっきりと二人が交わす愛のまなざしに気づいているのだから。

勿論、賢いランスロットが自分のそういう不思議な感情に気づかぬわけはなく、3巻「牡鹿王」にランスロットの言葉がある「でも・・・でもアーサーのもとを去ることはできないんです・・・もしかしたらわたしは、アーサーのそばにいたいがために王妃を愛しているのかもしれないんです」この後もランスロットはアーサーとグウェンと3人で寝たときにアーサーに触れたことをモーゲンに告白する。そしてこんな感情をアーサーにも言えないし、グウェンにも知られたらバカにされる、と。ここのランスは突然可愛らしくて好きです。しかしまあ、ハンサムなんだしもっと勇気を持とうよ!と言う感じですね(笑)
しかしランスはずーっと悩める感じでグウェンともアーサーとも思うようにはならないのですな。そのへんが悲劇でよいのでしょうが。
宗教的にもはっきりアヴァロンにもキリスト教にもつかず離れずで、優柔不断な騎士ではあるのでした。それが魅力と言われたらそうなんですがね。
しかし、アーサーをすごく慕っているランスは魅力的ですね。やはりその線で映画化していただきたい(笑)
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2005年06月09日

「アヴァロンの霧」アーサー王・大好き!

アーサー王に関してはさほど言うこともないのだが(笑)とても魅力のある男性だと思ってるので、ランスロットに血眼になってるグウェンフウィファルとモーゲンの気持ちがわかりませんwあんなかっこつけの男よりアーサーのほうが単純明快な男で大好きなのです(誰も私の好みなんかどーでもいいですね)見かけも金髪・灰色の目の大男という単純さがいいなあw
女性に対しても美しいとは感じてもさほど恋したというわけでもないグウェンに対してもとてもやさしいし、初体験の相手・モーゲン(異父姉のため、泣く泣くあきらめた)にも誠意を持って接している。結局アーサーが愛した女性はモーゲンだけなのかもしれない、という悲劇もあるのだが、その辺りもアーサーの単純な性格を現していてとても惹かれる。

ちょっと不思議だったのは、アーサーとランスロットがこの小説の中では惹かれあっているのだが、グウェンを通じてやっと互いの体に触れたかのように書かれていること。小説の表現としてはとても美しくて好きなのだが、グウェンといるより、戦場や他の場所で二人きりでいる機会も多かったろうに、何も女のいる城に戻ってからそういう風になる必要もないのでは(大きなお世話ですナ、コレ(爆)そういうことが当たり前なローマ人との差ってことでしょうか?日本でだったら(あるのかも知れませんが)番外編として「戦場でのアーサーとランスロット物語」というのが書かれそうです。マンガでもいいしね。
イギリスかアメリカので、そういう映画あったら是非みたいですね。ふふふ。(アーサー王の記事だけすごくミーハーになってしまった笑)
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2005年06月08日

「アヴァロンの霧」・苦悩する美女グウェンフウィファル

教もネタバレなのでよろしく。

ではグウェンフウィファルが敵役かというとそうではなく、むしろか弱いグウェンに自分を投影してしまう女性も多いだろう。スーパー・キャリアウーマンであるモーゲンと違いグウェンはいつも思い悩むばかりの存在だ。すばらしい美貌の持ち主とはいえ、結局自分の愛した男性・ランスロットとは結婚できず、敬虔なキリスト教信者のつもりが、夫以外の男性への思いも断ち切れず、ついには不倫の関係になってしまうのだから、グウェンフウィファルは自分が理想とすることは、何一つかなえることができないのだ。勿論、一番の彼女の不幸は切望した息子を産めないことだ。(無論、これはグウェンの望みとしての話ですよ)夫のアーサーが責めるわけでもないのに、彼女は女として子供が持てないことが最大の苦悩になってしまう。そのために夫トランスロットの間に寝てしまう、というキリスト教徒にあるまじき行為をしてしまうし、キリスト教ではないアヴァロンの異教のおまじないにさえたよってしまう。

王と最強の騎士でありハンサムな二人の男に愛されながらグウェンの心はついに満たされない。キリスト教徒ではない私にはグウェンの考えは時にいらだつものだが、はっきりと割り切れないグウェンの心にもまた共感を覚えてしまうのは私だけではないだろう。

美しいはずのグウェンが最初醜いと感じたモーゲンを時に美しく見えて嫉妬したり、いとこの美しいエレノアが愛するランスと結婚してしまいたくさんの子供を生むことへも激しい嫉妬を感じてしまう。美しかった自分がやがては年をとり、アーサーからも求められなくなっていく。最も苦しいのはモーゲンよりこの美貌のグウェンフウィファルのほうなのかもしれない。(もしくは作者がそう思えるようかいたのかもしれない)

他のものが羨むほどの美女の苦しみが子供がないことであるという設定に「源氏物語」の紫の上を思い出してしまう。
他に何らかの共通点があるわけではないのだが、小説家が女性にとっての苦しみを考える場合、子供が生めないという苦しみを最大のものだとするのだろうか。
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2005年06月07日

「アヴァロンの霧」妖妃モーゲン

主人公モーゲン。読者が女性なら少なからず彼女に感情移入してしまうだろう。特に読者が読書や思索が好きなような女性なら。尚且つ小柄で自分の容貌に絶対の自信がないのならば(笑)

大いにネタバレなのでご判断ください。


幼い時から大人びた少女モーゲン。背の高い美しいイグレインから産まれたのに妖精族らしい小さな体と浅黒い皮膚と魔法の力を持つ。母親はやがては王妃となったわけだが、モーゲンはキリスト教の尼僧院に入れられる恐れもあったし、アヴァロンの巫女・ヴィヴィアンは自らの娘がいないせいもあって、モーゲンを自分の後継者とするべくアヴァロンに連れて行く。その島は、ヴィヴィアンのような魔法の力を持つもののみが行き着ける場所なのだ。

厳しい戒律と修行を行い、モーゲンは着実に巫女の道を進む。だが、ヴィヴィアンの息子・ガラハッド通称ランスロットに再会して魂を奪われてしまう。賢いはずのモーゲンがランスロットへの気持ちだけはこの後も抑えることができないのだ。
モーゲンはじぶんをひどく醜いように感じているが、初めての性体験の相手(それは異父弟のアーサーだったのだが)にも好意的に思われているし、夫の国王(年寄りではあるが)からも慕われ、その後、若くてハンサムなアコロン(義理の息子ではあるが)とも恋仲になるのだから、それほどにまで女性として魅力がないわけではない。ただモーゲンの想う相手は結局、ランスロットだけ、だったのだろう。さまざまに優れ、仕事ができていても自分が狂おしく恋した男が別の女を好き、ということで、モーゲンは幸せになれないのだ。

もともとは妖妃モーゲンとして魔力を持つ恐ろしい女として伝説では語られていたのだろうか?マリオン・ジマー・ブラッドリーの小説の中でモーゲンは現代の悩める女性そのもののようだ。
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2005年06月06日

「アヴァロンの霧」美しい語り手イグレイン

妖精の島・アヴァロンの最高の巫女・湖の貴婦人・ヴィヴィアンの妹であるイグレインは身体の小さな妖精族らしからぬすらりとした長身の美女だ。15歳でローマの軍人であるゴルロイスに無理やりに嫁がされてしまう。その少女の恐怖と苦悩と嫌悪が描かれたこの物語の導入部はそこだけでもすばらしい出来栄えだと思う。聡明なイグレインの苦しみは読むものに共感を与える。かつて(今も)本人の意思と関係なく結婚させられるという話は数限りなくあるが、少女の恐怖と戸惑いをここまで繊細に書かれたものは少ないかもしれない。

物語を読んでいるとイグレインがあまりに落ち着いて賢明なのでつい忘れてしまうが、まだこのときの彼女は19歳。少女と言っていい歳なのだ。

ネタバレになってしまいますので、ご注意ください。

特にイグレインがウーゼルという若い王(といってもそんなに若くはないけど)に心惹かれ(この話も一筋縄ではいかず、実は同属の王をイグレインに産ませるためのアヴァロンの巫女のさしがねだったり、ここでもイグレインは苦悩する)夫であるゴルロイスがウーゼルに奇襲をかけるのを止めさせる為、魂を飛ばす場面など、まさに読み応えあり。

まだ、主人公たちが出てこない出だしの章なのだが、もしかしたら、私はこのイグレインの章が一番好きかも知れない。
posted by フェイユイ at 19:06| 香港 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月05日

「アヴァロンの霧」V

「アヴァロンの霧」の魅力はそういった人間関係だけではない。物語の始まりから読者は見たことはない(であろう)古きブリテンの国に連れて行かれたように感じるだろう。背のすらりとした美しいイグレイン(モーゲンのママ)がその国に誘ってくれる。まだ小さな妖精のようなモーゲンがそのそばに寄り添っている。モーゲンの父、荒々しいローマ人のゴルロイス。
イグレインの住む城を訪れる湖の貴婦人ヴィヴィアンと予言者マーリンとの会話からこの世界がどのような状況なのか、美しいイグレインがなぜ好きでもないローマ人と結婚しているのか、これからイグレインやモーゲンがどのような運命を迎えるのか、読者は知ることとなる。



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2005年06月04日

「アヴァロンの霧」U

長編なので記事も長いwで、この「アヴァロンの霧」において、私は色男で滅法強いランスロットよりアーサー王が大好きでwグウェンが何でアーサーよりランスがいいのかわからんw
どうも私はランスのように完璧なのよりアーサーのような朴訥風が好きなようだ。
ま、私の趣味など彼らにはどうでもいいだろがw結局この4角関係とか女性はすきなものだなあ、と思いつつやはり気になるね。

ネタバレになります。

しかもこの場合アーサーはグウェン好き。モーゲンも姉だが、初恋の人として好き。モーゲンはランスが好き。アーサーは弟だからダメ。ランスはグウェン好きでモーゲンは最初嫌いでもないが、次第に嫌いになっていくようだ。グウェンはアーサーも好きだが、ランスへの恋は特別のようだ。これにアーサーとランスの妖しい関係も加わって、グウェンが二人にやきもちを焼いてしまう。
さらにこれにエレインという美女が加わってモーゲンの魔法でランスがエレインと寝てしまうのだ。

このお話はあくまで作家マリオン・ジマー・ブラッドリーの創作であって、伝承そのものではないという。
有名なアーサー王伝説を読めばさらにその創作の妙がわかるということらしい。私は少年少女向けの全集でしか読んでないが、ここまで生き生きとした物語になるということは驚きだ。特にモーゲンはもともと悪い魔法を使う妖女として描かれていたはずなので、その彼女をこういう普通の女性として苦悩させている、という発想そしてその細かな描写はすばらしい。

作者がキリスト教でなくもともとのドルイド教に愛情を持って書いていることもよそ者である読者には読みやすいことの一つかもしれない。
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「アヴァロンの霧」マリオン・ジマー・ブラッドリー T

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疎いのですが、アメリカ映画では歴史モノが流行っているようですね。その多くは誰もが知っているような有名人であるようです。小説でも歴史モノはたくさんあると思いますが、もう夢中になって読んだ西洋モノにマリオン・ジマー・ブラッドリーの「アヴァロンの霧」全4巻があります。

どうしてもネタバレになりますので、未読の方はご判断ください。

描かれているのは西洋では多分知らないもののないアーサー王。ただここではアーサー王の武勇伝ということではなく、女性の目から見たアーサー王の時代の物語、というモノです。
物語の大部分は二人の女性、アーサー王妃である美しいグウェンフウィファル(グウィネビアのこと)とアーサー王の異父姉であり知性あるアヴァロンの血を持つモーゲンの愛と苦悩の物語です。

敬虔なキリスト教徒であり、また男性の目を惹きつける魅力をもつ美しいグウェンフウィファルはハンサムで勇敢なアーサー王の王妃になります。しかし彼女は、アーサー王の第一の従者でありまた女性からの賛辞の絶えない若い騎士ランスロットに恋をしてしまうのです。
優雅でありながら最強の騎士ランスロットとグウェンはお互いに熱い恋心を抱いてしまうのです。決して許されはしないことですが互いにその想いを断ち切ることはできません。
またグウェンの最大の悩みはどう神に祈ってもアーサー王の子供を産むことができないことなのです。子供がどうしてもできない女性の苦しみは読んでいて胸を打つ。

一方のモーゲンは(名前からしてグウェンフウィファルと差つけられてますよね)魔法と妖精の島であるアヴァロンを支配する後継者であり、アーサー王の異父姉であり、またこちらは子供が欲しくないのに、アーサー王との間に(それはアヴァロンの儀式でしょうがない出来事だったのだが)息子を産んでしまう。
またハンサムなランスロットに想いを寄せるがランスロットは美しいグウェンに心惹かれているためその想いはいつもはかなく散ってしまう。
知性があり仕事を巧みにこなすモーゲンは子供も産めるのだがグウェンのようにランスロットから愛されたいということだけが苦しみなのです。だが、その苦しみのなんと大きいことだろう。
モーゲンは他の男からは好かれたりしているので本人が苦しむほど女性としての魅力がないわけではないのだが、その一点でモーゲンはずっと苦しむことになる。弟であるアーサー王からも初めての女性だったと好意を打ち明けられるが、モーゲンには受け入れることはできなかったのでした。

ランスロットはひたすらグウェンを愛し、アーサー王もグウェンを愛している。だがふたりの男は王と騎士としてまた最愛の友人としての絆も強いのでした。
グウェンはランスロットに惹かれているのだが、夫であるアーサーの子供を産みたいという気持ちは日増しに強くなるばかり。その苦しみを見かねたアーサーはある夜、親友であるランスを夫婦の寝台に招きいれる。ふたりの愛する男の間にグウェンは身を横たえるのでした。
が、その時、グウェンは知ったのだ。愛するふたりの男が自分よりも互いに優しく触れていたことを。
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2005年05月08日

五木寛之「我が憎しみのイカロス」

いわずと知れた大作家さんだが、有名な長編は読んだことがない。夢中になって読んだのは遠い昔の短編集だ。若者を主人公もしくは(その当時の私にとっては)おじさんが主人公のものもあったが、それでも青春と言う言葉を当てはめるようなものだ。持ってはいるがちょっと探すのが億劫なので、記憶で書くが、若者たちが自分たちのためのラジオ局を持つために美人局をする話(これで美人局と言う言葉を知った)とかしがない中年男が夜中に、家族に内緒で買った車を走らせる話、生理中だけ歌が抜群に上手くなる女の子の話、高速道路で危険なレースを仕掛けてくる暴走族(?)の女の子の話、ひょんな事から手に入れたマリファナに興味を抱いた数人の他人同士が危険な旅をしようとする話など今ではもう古めかしい話なのだろうか、それとも今の少年少女も興味を持つだろうか。
その中でも私としては「我が憎しみのイカロス」というガソリンスタンドのオヤジ(といってもそんな年でもなかったんだろう)とそこへふらりとやってきた黒人と日本人との混血児の少年、そして時代遅れの型だが美しい姿のBMWに乗ってやってくるゲイの作曲家、と言う話を何度も読んだ。思えば何てことない話なんだが、美しい車に恋をしてこっそりBMWで自慰をする少年とその少年に恋をする作曲家、そしてガソリンスタンドのオヤジ、と言う組み合わせが何ともよかった(ははは)この本なんかは今でも読めるのかな?そんなに好きでもついぞ有名作品は読まなかった。そこには私が求めるものはないような気がして。でも五木寛之の昔の短編は今でもよく思い出す。
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2005年04月19日

スティーブン・キング

スティーブン・キングの説明はいらないだろう。小説でも映画でもこれ以上ないくらいのヒットメイカーしかも本当におもしろい。大メジャーでありながらなぜかマイナーな匂いも持ち合わせてる感じがする。
多分小説より先に映画「キャリー」で知ったと思うけどこれがまたなんともいえずおもしろかった。小説が面白いと映画がつまんないまたその逆もしかり、ということは多いが、スティーブン・キングのは両方面白いことが多い。映画「シャイニング」はキング自身が気に入らなくて(確か)自分でリメイクしたけど、両方見たけどどっちも小説もおもしろかったよね。ちょっと思い出しても「クジョー」だの「ペット・セメタリー」「クリスティーン」「炎の少女チャーリー」「デッド・ゾーン」「ミザリー」などなど。特に「クジョー(クージョ?)」はよく思い出しちゃう。すごい単純な恐怖なのにあの長さ。あの恐怖。「ミザリー」の女の人も嫌だったなあ。
そして「グリーンマイル」これは小説から読んだけど、小説のほうが映画より勝ってるのはあの膀胱の感染(だったよね?)の苦しみだよね。アレは読んでるだけで自分も痛くなってくるようだった。その病気に関しての結末は・・・ああこちらもまるで幸せになったよーwあんな気持ちのいいことはなかったね。本筋よりそちらがものすごい印象的だった。
「刑務所のリタ・ヘイワース」映画では「ショーシャンクの空に」ですね。これは映画しか見てないんですが、いつもの恐怖ものってわけじゃないのにこれがまた面白い。どうなってるんだ、この人の頭は。
そして大好きな大好きな「スタンドバイミー」映画を先に見たと思うけど、読んでない人、小説も読んでくれ。なんとも切なくて映画もすばらしいのにまたそれ以上の感動のある小説なのだ。いったいどうしてこんないい話書けるんだ?映画にはリバー・フェニックスがもうこれ以上ないほど素敵な少年を演じてます。小説もすばらしいです(泣)
そしてそしてですね。もしかしたら一番好きな小説「暗黒の塔」ガンスリンガー、うう、映画になったら死ぬ。つーか、映画になるかな?なってるよ、なんていわないよね?

全部読破・映画見たわけじゃないが、こんなに面白い小説書く人そうはいない。
posted by フェイユイ at 19:03| 香港 ☁| Comment(4) | TrackBack(3) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月17日

家なき子と家なき娘

別に何かの暗喩でなくてあの名作「家なき子」のことなんですが、やたら有名な「家なき子」に比べ「家なき娘」はいまいち読まれてないのでは。といっても以前アニメで確か「ペりーヌ物語」として放送されてたからそれでご存知の方は多いのでしょうね。
記憶だけで書いてるので、間違いもあるかも知れないが、なんとなく運命に流されていった「家なき子」のレミ少年に比べ「家なき娘」のペリーヌはものすごく運命を切り開いていった少女だった。自分も少女の時、読んでいて「頼りないレミよりペりーヌはすげえ」と感心していた。なにせ病気のママを看病しつつ旅をして、ママが亡くなった後も子供ながらに働いて自活。外国語を話せる特技を生かして通訳の仕事について生活をレベルアップ。寮に住んでるとお金がかかるからと掘っ立て小屋をリフォームして生活。確かお金持ちのおじいさんに出会ってもすぐに頼ると嫌われるといけないと考え信頼を得てから孫であると告白するなど、大人になった今思い出すと「自分ではできそうにない」とうなだれてしまう。
あんまりできすぎてて却って敬遠されてしまうのだろうか。子供のときは随分感心したペリーヌだが、大人になれば、頼りないレミのほうがかわいいのかも。変に子供が読んで自活されても困るのか。
単に子供でも男より女の方が生活力がある、というだけかもしんないけど。
posted by フェイユイ at 15:59| 香港 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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