映画・読書感想記事は基本的にネタバレです。ご注意ください。

2008年09月17日

死体とご遺体 夫婦湯灌師と4000体の出会い (平凡社新書)

本木雅弘主演の『おくりびと』
私は第32回モントリオール世界映画祭でグランプリを受賞したことで知ったくちである。
とても観たい作品なのだが例によってDVDにならなければ観れないのでせめて本木さんが紹介されていた文献を読んでみたくなった。
『納棺夫日記』はすぐ手にはいらなかったのでまず『死体とご遺体 夫婦湯灌師と4000体の出会い』 (平凡社新書)を読んでみた。
これはもう凄く興味深く面白い内容でまったく知らなかった世界だけに感心し通しで読んでしまった。
なるほど、死は忌むべきものであるだけに死と体面する仕事はこんなにも周囲の人間を遠ざけてしまうのだ、と改めて思い知った。何となく知ってはいたもののこうして仕事として体験している人の気持ちを読んだのは初めてではないだろうか。
映画のあらすじを読むと本木さんが演じている主人公も思いがけずその仕事に入ったようだがこの著者もそれまでの仕事が破綻し仕方なくその仕事についたのがきっかけであるとのこと。しかし若い(見かけがまたもっと若く見える)本木さんよりこの著者はずっと年上でつまりこのきつい仕事を始めるのは大変だったはずだ。だがその反面この年齢でなければこの仕事は勤まらない、とも書かれていて確かにこういう仕事はある程度の年齢を重ねていなければ思いやりということができないのかもしれない。
とても判りやすい文章で書かれていてパートナーである奥さんの言葉も書かれているのも微笑ましかった。
ちなみに奥さんのほうが社長に任命されていて著者であるダンナさんが部下であるのも面白い。実際女性である奥さんの存在なくしてはできないデリケートな仕事なのだ、と書かれているのも著者氏の深い思いなのだろう。
タグ:仕事
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2008年01月14日

『ラストエンペラー夫人 婉容』池内昭一/孫憲治著

以下、どちらも図書館から借りたもの。

『ラストエンペラー夫人 婉容』池内昭一/孫憲治著
写真も載っていて婉容の美しさに感嘆する。この美貌と知性を持った若い女性がすぐに消滅してしまう清朝皇帝の皇后となりその一生を無駄に過ごしてしまうとは酷いことである。
他で読むものより溥儀の姿が浮かんでくるようであった。
溥儀は勿論のこと、清朝最後の人々の話というのは非常に興味深い。溥儀の弟の妻である嵯峨浩との話も悲しい。

『最後の宦官』凌海成著
こちらはあんまりじっくり読まなかったんだけど、また借りることでしょう。
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2008年01月13日

『美男の国ヘ』岩井志麻子

『美男の国へ』遅まきながら『ぼっけえ、きょうてえ』を読んだので志麻子氏の他の著作も読もうと手に取ったのがこれ。

こういった類の男性版は内容の強烈度は別にして多々あるのかもしれないが女性が能動的なものはそうそうお目にかかれないのではないだろうか。私が詳しくないからだけかもしれないが。
ベトナム人、韓国人、中国人の「若くていい男」を相手にとめどない色欲だけで突っ走る志麻子氏を素直に羨ましいと思うか、ふしだらな、と眉をひそめるか。まあ、そういう人はすぐ読むのを止めてしまうはずか。
欲得や計算などなしにひたすら「若くていい男」とのセックスを求める姿が小気味いいほどバイタリティに溢れて応援したくなってしまう。
私的にはとてもこのエネルギーはないので読んで楽しむだけで充分、というところだが多分読者の多くはこういう弱虫なんじゃないかなあ。
いい男が(いい女でもそうだが)ずらりと並んだら「どれがいい?」とすぐ問いたくなるものだが、私は韓国の内縁夫さんがいいなあと思うのだが、これはごく当たり前の選択かもしれない(と勝手に思う)
内縁夫さんとの話はこの中でもしっとりと心の交流があるように思うのだがやはりそれは言葉が日本語で通じるためなんだろうか。

「新潮45」に連載されていた時は『ドスケベ三都ものがたり』と言うタイトルだったらしく、単行本になるにあたってこのタイトルとなり図書館で借りるものとしてはありがたいことである。
タグ:男と女
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2008年01月12日

『乞食の子』頼東進

本を買う余裕がないので最近の読書は殆どが図書館である。どうしても手元に置きたいものはできるだけ古本で購入。普通に手に入れることはよほどでなければない。

これは図書館から借りたもの。
『乞食の子』頼東進著 台湾人の著者による自伝である。タイトルどおり乞食の子として生まれ育った著者の信じられないような過酷な子供時代が描かれている。
盲目で弾き語りをしながら放浪を続ける父と重度の障害者の母、そして自分も含め12人の子供がいる家庭を長男である著者は幼い時から一家の世話をその小さな肩に担う事になる。
激しい差別を受けながら何の補償も手助けもなく(心優しい施しはあるが)しかも行政からは取り締まりにあいながら子供である著者が父に殴られ、人々からは謗られ、ただ一日の家族の糧を洗面器に集めてまわる日常は想像を絶するものがある。しかも彼は私よりわずかに年上なだけでそんな遠い昔の物語ではないのがまたショックである。自分がのんびりと過ごしていた頃に彼はそう遠くもない台湾という土地でこのような日々を過ごしていたのである。
幸運にも(と言っていいのだろうか)あるきっかけから10歳と言う年齢にはなっていたが小学校に通うことになり並外れた才能を発揮して学業・運動に素晴らしい成績をあげることになる。無論そこにも彼のひたむきな努力がある。
彼がこの非情な生活のなかでさえ、家族への愛情をいつも失わずにいたことも豊かな現在の日本の家族の在り方とつい比べてしまうのである。

この自伝を読んでいて思いだすのは同じ台湾を舞台にした白先勇の小説『薛/子]子』である。
描かれている時代はほぼ同じ、か『薛/子]子』の方がやや後になるくらいだろうか。
特に『薛/子]子』の中の老鼠は同じ頼という名前であり、頼東進氏のお姉さんがまだ少女という年齢で買春を強要される場面はその老鼠が助ける事になる売春のために閉じ込められた少女を思い起こさせる。
頼氏自身は特に仲のよかった姉が自分の小学校入学のために買春せざるを得なかったことに衝撃を受け、なんとか助けたいと思いながらも何の手立てもなく泣くしかなかったのが、小説の中の頼少年は閉じ込められた買春少女を逃している、というのが不思議である。

著書はむしろ明るいタッチで書かれているものであるし、そのひたむきさ、家族(特に姉)への深い愛情など感動に溢れる話が次々と語られている。多くの人に読んで欲しい一冊である。
タグ:自伝
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2007年12月09日

『車輪の下』へルマン・ヘッセ

『藍空放浪記』ばかりにかまけてしまって、つまり映画に夢中になってばかりでなかなかこちらに書くことができないでいる。
とはいっても、本を読まないでいるのかというと少し前より余計に読んでいるくらいなのだけど、文章にしようとするにはそれほど考えやら感想やらがまとまってはいないのでついつい書かずじまい。
しかも映画を観てから原作や関係の本を読むことがつい多くなる。

最近ちょぼちょぼ読んでるのはどういうものか『車輪の下』無論少女時代に読んだものではある。
ヘッセは他に『ナルチスとゴルトムント』を読んだくらいでそんなにのめりこんではいない。
『ナルチス』のほうは面白かったが『車輪』はなんだかそれほど感銘を受けたものでもなかった。

20年以上たって読み返して号泣したということはないのだが、やはりその文章のうまさ、ハンス少年の感情表現など惹きこまれて読んでしまった。
勉強漬けになりストレスのたまったハンスが懐かしい自由な頃の思い出のある小さな水車やウサギ小屋を思い切り叩き壊してしまう場面や食べたくもないチョコレートを勧められて捨ててしまう場面、ハンスをいつも優しく見守ってくれるフライク親方を半分軽蔑している彼の心が丹念に描かれている。

寄宿学校では友人ハイルナーの前に脱走しようとして死んでしまった少年の話などが後のハンスの行動に重なって見えてくる。
名作として人の心に残る作品というのはやはり面白いものなのだと改めて感じた。
以前はそうまで感じなかったハンスとハイルナーのキスも少年期の美しい情景として書かれていることにはっとする思いだった。
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2007年10月13日

宮沢賢治

宮沢賢治の物語が好きで手元にもってる物を何度となく読み返しているがとにかく読み方が雑なので読んでいないものも幾つかあるという状態だ。
そういうのもきちんと読んでいきたいと思っている。

ところで中には読んでいたのにもかかわらず、なかなか意味が汲み取れないものもある。
『貝の火』がそのひとつだが、かわいいウサギの男の子ホモイが人助けをしたためにもらった貝の火の意味がわかりそうでわからない。
単純にホモイを「悪い人物」と受け止めて罰を受けた、ということにしていいのか。では貝は何をあらわしてるのか。

ホモイは無邪気な少年で溺れそうになった雲雀の子を懸命に助け、そのお礼として宝物である「貝の火」をもらう。水晶玉の中に美しい炎が絶え間なく燃えている。それを死ぬまで持ち続けた者は僅かだということらしい。ホモイは絶対自分は大丈夫と思っている。

素朴なホモイは助けた雲雀の子の醜さに驚き、宝物をもらったことで急にへつらいだした狐相手に威張りだす。
威張っている間はホモイがどんなに悪いことをしても貝の火は美しく燃えている。ホモイが悪賢い狐に恐れを抱いたとたん貝の火は曇りだし割れてしまうのだ。
ならば宝物と言われる「貝の火」は人助けをした者に対しどういう意味のお礼なのか。他人に暴力をふるっている間は美しく、怖れた時に割れるとは。しかもそれが割れた破片でホモイは盲目となるのだ(ホモイの父が「治してあげるから」と言ってることでもしかしたら一時的なものかもしれないが)
しかも死ぬまで持っていた者は僅かというがそれならその僅かな人たちだけは死ぬまで他人に酷いことをしていた、ということなのか。
狐にそそのかされたためとはいえ、モグラに対するホモイの行動は惨いものである。
だが一方親孝行な面であるとか時には過ちを反省する気持ちから見てもホモイが完全に悪者であるとも言いがたい。
つまりはホモイという人格は非常にリアルな人間的な造形になっているのだが。
「貝の火」が曇る時、読んでいても勿体無いという気持ちになる。どういう気持ちであったとしても雲雀の子の命を救ったのにどうしてホモイはこのような試練を受けなければならなかったのか。

判りそうでいてなんだかわからない。今後の謎解きである。
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2007年10月08日

『大江戸死体考』氏家幹人

氏家幹人氏の『大江戸死体考』というおっかないタイトルの本を読んでいるところだ。土左衛門だの心中だのはたまた刀の試し切りとさすがタイトルどおりの怖ろしげな話が続く。
その後に書かれていたのが「胆を取る話」とこれまた胆の冷える話である。
つまりは人間の生き胆が病に効くという信仰めいたことから死刑囚からできるだけ新鮮な胆を取り出す、というのならまだしも生きたままの少年から生き胆を抜いてしまう、という残虐極まりない話はさすがに縮み上がってしまいそうだ。

そういえばこのブログで以前、山本茂実「あゝ野麦峠」の中で工女が惨殺され下腹部がえぐられているという話が挿入されていてグロテスクなミステリーというその逸話があの物語の中で不思議な印象を落としていた。
さすがにTVの時代劇でこのような話は扱われないのではないか、と思うのだが(違うだろうか)巷ではこのような信仰めいたものがあったというのは恐ろしいことである。
今はそんなことは、と思うに生き胆どころか様々な内臓を生きている人間から取っているのが現実にあるわけで。中には色々な事情がある場合もあるだろうが結局昔とあまり変わってもいない、どころか進行しているのだな、と考えさせられてしまうのだった。
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2007年08月06日

「不思議の国のアリス」症候群 角田昭夫

角田昭夫氏の「不思議の国のアリス症候群」という本があり初めてそういう言葉があると知った。
最初は小さな女の子を好きな人のことかと思ってたらそうではなくてアリスが不思議の国で体験するあの「突然体が大きくなったり小さくなったりする」あれを感じてしまう病気なのだそうだ。

つまり大きいものが小さく見えたり、その逆だったり、半分だけがそう見えたり、また自分の体が小さくまたは大きく感じられたり、時間が遅くなったり早くなったり、ということもあるそうで子供時代に多い症状らしい。そして多くは一定期間が過ぎると元通りになるという。
偏頭痛を持つ場合が多く、時にはてんかん、統合失調症の患者である場合もある。

子供時代に起きるというのは西洋に多いのか日本の子供にはあまり見られないらしい。といっても皆無ではないようだ。検索してると色々体験談があるようだし。

とはいえ確かにあまり聞いたことはない。だが思い返してみれば少女時代にはよく眠る前にこれに似たような感覚を味わったことが何度となくあったような記憶がある。あまりはっきりしたものではないが。ぼんやりとした感覚である。急に周りが迫ってきたり大きく感じられたり手が変なものになったような感覚があったがこれだったのか。
悲しいか喜ばしいか大人(年寄り)になった今では思い出すのもやや難しい感覚である。
そういわれれば西洋の映画など観てると日本人にはあまりないような妙な感覚を持つものがよくあるが、こういう少年期の体験からきてるのかもしれない。これは想像だが。

表題にもなっているこの項は作者の発見ではなく神経学雑誌からの抜粋が元になっているが、他の項目は医者である作者が様々な小説から子供の病気を取り上げ解説をする形式になっていて興味深い。
以前このブログで書いた「アルプスの少女ハイジ」にも注目されているのも関心を引いた。あの部分は本当に面白い(と言ったらハイジには悪いが)

タグ:病気 子供
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2007年07月19日

「恐るべき子供たち」ジャン・コクトー

萩尾望都のマンガで読んだのが先だった。ために小説を読んでいても全ての映像が浮かんでくる。
この小説、もしかしたら萩尾望都のマンガを読んでなければここまで入り込めなかった気がする。

主人公達が甘い運命を享受し、自堕落といえる気ままな生活を送っていく小さな部屋。麻薬を使わなくても夢の世界を漂う事ができる彼らに羨望の目を向けてしまってもしょうがないだろう。
特に姉リーズが結婚して大きな屋敷に住んだのに広間の片隅を衝立で区切って自分達の世界を作ってしまうのが素敵であった。

登場人物で印象的なのはダルジュロス。といってもこれも萩尾氏の影響かもしれず。
ポールにとって憧れの少年はアタリーという美女になって芝居をし、後にアガートという女性にその姿を重ねられる。

ほんの短い小説であるのにかき立てられるイマジネーション。訳をした画家・東郷青児のあとがきに「この小説には色がなく、時折赤い色がさっとひらめくだけ」(おおよその記憶)というのが心に残る。






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2007年07月14日

「テヘランでロリータを読む」アーザル・ナフィーシー

図書館で借りてもう返してしまったのだが、思っていた以上にまさしくテヘランで「ロリータ」という本を読むことについて書かれていた。
というのはもう少し女子学生たちの感想の部分が多いのか、と思っていたのだが、文章の多くはその行為がどのような意味をもつか、ということに割かれていた。

話されていた感想自体は以前自分が書いていたこととそう違わないのではと感じたのだが、そういった勉強会を持つためにまるで秘密会議でも開くかのような意気込みやそれを著作にするために少女達の名前を偽名にするだけならまだしも話し方や服装から連想させて本人とばれるといけないからキャラクターも変えてしまったという説明には驚いた。無論容姿の説明も本人と違うものになっているわけで、元の本人の姿はばらばらになってるのである。
そこまで注意しなければいけない世界とはなんだろう。誰もが文学と呼ぶ小説の勉強会をしているだけなのに。日本でなら見栄を張って宣伝してしまうくらいだ。
しかも最初はなかなか思ったことが言えない。著者である教師が教室で生徒に発言をさせると教師が説明したとおりのことしか言わないので怒りが爆発する場面があった。
怒られた生徒はなぜ怒られたのか判らない。本人は懸命に教師の教えを暗記したのだ。だが西洋的学問をした教師は生徒に自由な発想を求めていく。

本作の中には第一部 ナボコフ、第二部 ギャツビー、第三部 ジェイムズ、第四部 オースティンが書かれていたのだが、私が特にジェイムズとオースティンはしらないこともあってナボコフの章がやはり面白かった。
もう一つ「ロリータ」が書かれたアメリカ(作者はロシア人だが)や日本の今と大きく違うのは「ロリータ」の主人公のように12歳の少女と30代、40代男が結婚するのはイランではまったく異常なことではなく正常な成人男性は9歳の少女を妻として迎えるのを希望しているというのが当たり前だというのだ。
そういうことを初めて知ったわけではないが「ロリータ」の中で最も重要な問題が当たり前のことだというのはなんとも言いがたいものがある。今の日本でも12歳の少女と40歳の男が結婚するというのは(法律的に無理というのがまずあるが)認めがたい。ましてや9歳なんて。本として書かれていても信じがたい。
つまりはロリータが12歳である、ということが異常ではない世界でも「ロリータ」に描かれている少女の拘束感、自由になれない悲劇、というのは共感できるものなのだ。



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2007年07月08日

続・「朝日百科・世界の文学」6.7南北アメリカ

昨日の続きを少し書いてみる。
アメリカ文学というのはこうして見て行くと自分でも驚くほど影響を受けていたとわかる。全てを読んではいなくても知っている作者名、タイトルが数多くある。ただ知ってはいても驚く事もある。
慎み深い家族の姿を描いて名高い「若草物語」のオルコットが様々な名義で全く違ったジャンルの小説を書いていたとは思いもしなかった。「愛の果ての物語」というゴシックホラーなどがあり、それらには裏切り、暴力、復讐、悪漢、逃亡、阿片中毒、誘惑、近親姦、強姦などが描かれているということである。確かに才能ある作家がたった一冊の本しか書いてないということは考えられないのだが、「若草物語」のいう代物が自分の好む世界ではないのでオルコットの他の作品を調べようなどと思いもしなかったのである。
そういう内容なら読んでみたいと思ってしまうのだが。
また最近映画でやっと知った名前、シルヴィア・プラス、そして他にも女性として閉ざされた世界でもがき飛び出そうとしていた多くの女性作家の名前が続く。そうした女性達の叫びにも似た数多くの小説があり女性達が自由に動きだそうという様々な試みが小説を通じて表現され実際の行動にもつながっていくのがアメリカ社会の一つの現象なのだろう。
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2007年07月07日

「朝日百科・世界の文学」6.7南北アメリカ

図書館で「朝日百科・世界の文学」6と7を借りた。
南北アメリカの文学についての本なのだが、とにかく写真や絵がふんだんに載っていて楽しい。他の国のものはまだ見てないのだが、少なくともアメリカ文学は映画・芝居と強い関係を持っていることがわかる。
取り上げられた小説家の数も相当なものでここで一気にまとめてはとても言えないのだが、アメリカ文学というものが絶えず「アメリカ人とは何か」という課題の元で作られ続けているという箇所が興味をひいた。
そして様々の差別と偏見、人種ということは勿論女性ということでもアメリカ文学は常に戦い続けているのである。

北だけでなく南アメリカ文学の記述も大いに惹かれるものであったし、これは本当に読み応えがある。但し買うことは殆ど無理である、12巻セットで12万3千円を越えている。これを思案することなく買える人は羨ましいが私には到底無理。
暫く図書館通いで全巻読んで行くしかない。かなり大きいので自転車乗りの私にはそれもなかなか大変なのだがちょっと楽しみである。
これを見てまた観たい映画も発見できた。
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2007年06月04日

「嵐が丘」

「嵐が丘」も夢中で何回も読んだ小説だ。イングランドの田舎。荒野の中の少年と少女の恋はロマンチックであった。ヒースクリフとキャサリンというキャラクターの魅力的であったことよ。
だが私が密かに一番好きだったのはヘアトン・アーンショウとヒースクリフの関係だったりする。
ヘアトンはヒースクリフを苛め抜いた憎い男ヒンドリィ(キャサリンの兄)の子供なのだ。ヒースクリフはヘアトンを野放しで育てるという復讐をする。アーンショウ家の跡取りなのに読み書きも出来ず野良仕事ばかりをさせられているのだ。
とはいえヒースクリフはそれ以外では結構ヘアトンを可愛がってさえいる。しかもなぜかヘアトンはキャサリンの娘よりキャサリンに似ているのだった。
愛しい人キャサリンを亡くしたヒースクリフはヘアトンを見てキャサリンを思い出してしまう。
何も書かれてはいないのだが、勝手にヒースクリフとヘアトンの関係を想像して楽しむいけない私であった。
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2007年05月09日

「ロリータ」ナボコフ・U

前回書ききれなかった分を少し書き足す。と言うのもこの膨大な情報量の小説のセンテンスごとに感想を書いていては書ききれないがそのくらいしたくなるほど面白いセンテンスが多いからなのだが。

前回書いたことであるが、この小説のポイントはハンバートによる一人称にある。
すべての出来事、考えはハンバートが描いたものでロリータことドロレスの思いはそこに描かれない。
この小説をロリータが書いたらどうなったんだろう、とも思う。そういう試みをした人もいるのだろうか。
だがロリータが書く文章、ということでこの知識の詰め込まれた遊びだらけの文章の醍醐味は失われ、語彙の少ないたどたどしいものとなるだろう。それとも年を重ね落ち着いたドロレスが少女時代を思い出して書くのか。それだと的確かもしれないが、読者の興味は半減してしまうかもしれない。私はそちらの方がいいと思うが少女の痛みの部分は薄れてしまうのはしょうがない(小説としても)

最古の長編小説と言われまた素晴らしい恋愛小説でもある「源氏物語」のヒロインは紫の上である。
彼女と源氏の出会いは現代から見ればロリータの物語と同じに見える。身寄りのない幼い紫を源氏が引き取って育て、少女の時に(結婚と言う形ではあるが)その処女を奪ってしまう(と言ってもいいだろう)
だが作者が女性のためかその後の展開は違ってくる。源氏はずっと紫を妻として最後まで愛する(当時の常として浮気はするが)源氏物語は女性に好かれる小説だが、その辺の違いは当然関わっているはずだ。

そしてこの小説を男が読むか女が読むかでもまったく感想は違うはずだ。小説自体の面白さに感心しながらも反感を持ってしまうのは私が女性であるからで、しかしやはり面白い、という快感と反感が交互に襲ってくるのだ。
男性の欲望が装飾に彩られているとはいえ、巧妙に自己弁護されているとはいえ、正直に表現されていることにも興味は尽きない。

最近タイトルを見たのみだが「テヘランでロリータを読む」と言う本が出版されているようだ。非常に興味をそそられるのだが、まだ読む機会がない。テヘランとロリータという一見つながらない二つを合わせた気になるタイトルである。読んでみたいと思う。

タグ:ロリコン
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2007年05月08日

「ロリータ」ナボコフ

「藍空放浪記」でも書いたが(以下の文章かなり重複している)毎日「ロリータ」を読んでいる。昔読んだのと違う新しい訳だが読みやすい。
少女にのみ本当の快楽を見出すハンバート・ハンバートの一人称からなるこの長編小説を何度も読み返してしまう面白さというのは何だろう。
ヨーロッパからアメリカへ来たこの中年男(と言ってさしつかえないだろう)は確かに可愛くはあるがやや蓮っ葉としか言いようのない少女に夢中になってしまう。
ハンバートが自分のすべての欲望を込めて呼ぶ「ロリータ」という少女(今では完全にイヤらしい名前と化してしまった。気の毒な)ドロレス・ヘイズが12歳から15歳くらいまでの性愛の物語である。

まず惹かれたのはロリータが普通かもしくはかなり意地悪で低俗な嗜好の持ち主であること。
ハンバート好みの小柄で細い肢体を持ち、彼の欲望を掻き立てながらも精神は崇高でも神秘的でもない。
ある意味、ハンバートはその絹のような手触りの細い体だけを欲しているのかと思えるのだが事実そのとおりであり、ロリータが15歳をこえると彼らの性愛の暮らしは終わりを告げる。その後、ロリータが別の男と結婚したりハンバートが犯罪を犯したりするが、これはロリータが成長してしまい話は終わった、ということにしか思えない。むしろ大きくなっても愛してる、と言いながら事実大きくなったロリータに同じ愛情を持つかといえばそんなことはないからで、そのことはハンバート自身が語っている。曰く「ロリータが娘を産み、その子が12歳になればまた同じように愛し、そのまた娘が12歳になる頃老人になった自分にもう一度チャンスが訪れる」と。
がそれは語られただけで小説の筋にはならなかった。
結末近くハンバートは大きくなったロリータへの愛情を盛んに口にするがそれはもう戻らない彼女への追従に過ぎないのだ。

多くの人は「1部は面白いが2部はつまらない」と思うらしい。自分的には2部の二人の北米放浪に興味を持った。
ここでハンバートはロリータに幾度となくセックスを求めている。中年男がどこにも行き場のない13歳の少女を連れまわし、その見返りに肉体を要求していくという怖ろしいストーリーだ。ハンバートはここでむしろユーモアを交えた軽みのある語り口をしているのだが、当のロリータがどのような気持ちでハンバートに抱かれていたかは描かれない。
二人の結末となるロリータの口調からしても彼女がハンバートを嫌っていたのは間違いないのである。単純に性交渉だけを求めるわけでなく体を撫で回すようなハンバートとの生活がロリータに心地よいわけもない。

小説は一人称で書かれているため、ふと疑問に思うこともある。ハンバートが嘘を書こうとすれば書けるのだ。無論、この方法がまかり通れば何を信じて小説を読んでいいかわからない。すべて嘘だと言ってしまえばお終いだ。
ただロリータの母親が突然死んでしまうところ、学校で演劇に夢中になっていたロリータが突然ハンバートに旅をしたいと言い出す場面は奇妙である。
物凄く勝手を言ってしまえばこの2箇所は後に手記をしたためたハンバートが巧妙に嘘を書いたのではないかと疑ってしまうのだ。

こう書いていっているとハンバートをただおぞましい変態だと言い立てているようだ。
何故こう書いたかと言うと、それにも拘らず、彼の書くロリータ像、ロリータへの賛美、ロリータとの生活が魅力的でまたロリータを最高とする少女愛の対象となる「ニンフェット」の定義、筋書きを彩っていく様々な知識と言葉遊びの楽しさが尽きないのだ。
あまり讃えすぎてハンバート自身に賛同しているかと言われれば女性としてロリータを単なる欲望の対象としてしか見ていない気持ち悪さは無視できない。
だがロリータが同じ少女趣味の男を好きになっているのにハンバートを愛する事はなかったことがこの小説の救いになっているとも思える。
時々ハンバートに騙され、ロリータに反感を覚えてハンバートに同情する人もいるがそんなことをする必要はない。
文章は素晴らしいがハンバートが愛しているのは10代前半の肉体を持つロリータなのであって彼は満足しているはずであり、大きくなったロリータと再び暮らすことになってしまったなら、ほどなく別の少女のスカートに顔をうずめに行ったはずなのだ。

後半、ロリータを本当に愛してしまったかのように書くハンバートの欺瞞とロリータがどう言われても戻らなかったことでむしろハンバートが年老いたロリータと暮らすことがない身勝手さを感じ、ますます巧妙な小説だと感心してしまうのだ。
タグ:ロリコン
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2007年02月11日

懐かしきヘミングウェイ

また昔話。

ある日、何かで「ヘミングウェイの短編集の中のボクサーの物語(タイトル判らず)が面白い」と知り読みたくなった。
常に金欠なので近くの古本屋に探しに行った。
なんと言う運命の引き合わせかそこには探しているそれがあった。目次にもちゃんとタイトルがある。
すぐに買って帰った。ページをくるのももどかしくその短編のあるべきページを開くと・・・ない。
そこにあるはずの「ボクサーの物語」がないのだ。もう一度目次を確かめもう一度ページを・・・なんとその部分だけ切り取られていたのだった。古本ならではの悲劇!!ああ!!

返しにいったか、脱力してあきらめたか覚えていない。
しかし欲しいものがある時はちゃんと確かめなければいけない、と学んだ。

まあ、だからと言って舞い上がっている時はまた失敗するんだけどね。
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2007年01月30日

「あゝ野麦峠」の中のミステリー 山本茂実

映画はあんまりよく観てなくて幾つかの場面を思い出すくらいなのだが、ここで書くのは著作の方である。

映画でも大変話題になった作品である。文明開化と共に日本で次々と作られていった紡績工場で働く女性達の姿が描きだされている。ある者は身売り同然に、ある者は病に倒れ死んでしまうような過酷な条件の中で懸命に働かざるを得なかった(多くは)若い女性達。決して多くはない賃金なのだが生まれ育った農村にいるよりは金になるということで雪山を越えて工場のある町へと働きに出、一日十数時間殆ど休みなく働いて貯めた金を懐に喜ぶ親の顔を見ることを楽しみに帰る少女たち。
そんな女性達の苦しみに満ちた生活の描写の中でここでは不適切かもしれないが、ミステリアスな部分に興味を持ってみた。ここが映画の中に描かれていたかはわからない。

明治39年9月、諏訪湖の下流の静かな村で酒屋の子守娘が惨殺死体で発見された。下腹部がえぐられていたのだ。

同じ年の11月、天竜川沿いで一人の製糸工女が殺される。彼女は色白で美人、男心をそそるような色香があったらしい。彼女も同じように腹部をえぐられたいたという。
刑事たちは赤い腰巻の乱れた裾から見える真っ白い太ももにぼーっとして「変態痴漢説」を唱えたのだ。
警察が見当違いの捜査をしている間に第3の事件が起きる。一度に若い母親・乳児・17歳のお手伝いの3人を殺したのだ。3人とも下腹部をえぐられていた。
殺されたのは乳児を除いていずれも若い女性。どれも下腹部をえぐられているが性的には犯されていないのだった。
しばらくたって49歳の女性が同じように殺されたが犯人は見つからない。
が、7人目の犠牲者となるはずだった女性に抵抗された上、顔を見られて逃げられてしまう。
こうして犯人は捕まってしまった。温厚で真面目な性格の男だったらしい。拷問にかけられてもついに理由を言わず処刑された為に原因はわかっていない。
警察は結核の特効薬として「人間の肝」が高値で取引されていた事に気づきこれが鍵だと睨むが金銭欲のためにそんな事をする男でもなかったためにどうしても動機がつかめないのだった。
ただ彼の恩人の娘が肺病でじっと死を待っている、という噂があった。義理堅いその男ならやりそうなことだ、という話だった。
すべては憶測に過ぎない、ということなのだが。

私としてはこういう路線から野麦峠を映画で観たい気がするのだが。こういう作品は真剣な思いで接っしなければいけないようで面白おかしく作るわけにはいかないのかもしれないけど。
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2007年01月23日

江戸川乱歩

江戸川乱歩。自分の嗜好の世界を形成している一人である。しかも土台の部分で。
およそ百年前にこのような小説が書かれ今読んでも面白くてたまらない。
猟奇、倒錯、変態、異常といった形容をつけずにはおれないし、作中には必ずこの上なく美しい男女そして醜悪な容貌の人物が登場する。
危ない世界である。今となっては放送禁止的アブノーマルに満ち満ちたこの小説が当時は大人気だったらしいのだから、やはり人間はこういう恐怖を除かずにはおれないのだろう。
その後も氏の世界を模倣(というと失礼かもしれないが)しようとする小説家・映画監督などが多数現れるわけだが、江戸川乱歩を越える面白さを持つ人は出てこないようだ(あくまで私の好みとして)

どのタイトルを見てもその独特の雰囲気を感じるが、「孤島の鬼」は同性愛的な要素の美しさと特に怖ろしい異常性で忘れる事ができない作品である。
posted by フェイユイ at 18:45| 香港 🌁| Comment(4) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月07日

「ヴィジュアル版ギリシア・ローマ文化誌百科・上」

最近またよく図書館で本を借りている。
今回借りた内の一冊「ヴィジュアル版ギリシア・ローマ文化誌百科・上」まあギリシア・ローマ文化というと興味は一つ、てな感じもするわけですが、ヴィジュアル版ということで写真が多いのも魅力。

で第一章。とにかく美しい体を持っていなければいけないようで大変です。勿論もやしっ子はNGで彫刻に現れるような均整の取れた筋肉質の身体ですね。そして興味は「性愛」へと移るのですがアキレウスのパトロクロスへの愛を讃えています。p68「からみあう男性同士の恋人たち」抱かれている青年が美しいです。前480年頃アッティカ赤像式キュリクスの内側に描かれたものということですから酒杯でしょうか。色っぽいです。
p70図75「愛し合う男性と少年」少年が年長者を誘惑している図です。この少年も綺麗です。
図78「少年に求愛する男性」年長の男性が少年に愛玩用の野うさぎを贈っている。この頃はゲイというのが特にいけないものという観念はなくお父さんに同意を得て指定の場所で交際すればよかったらしい。明るい交際なわけですね。その時こういうかわいいペットなんかを贈り物にして少年の心を惹いたわけでしょうか。今ならゲームソフトとか。その下の図は最初男女かと思ったんですが愛し合う男性同士の図でした。
タグ:同性愛
posted by フェイユイ at 19:42| 香港 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月04日

「さすらいの孤児ラスムス」

「長くつ下のピッピ」や「名探偵カッレくん」で有名な アストリッド・リンドグレーンの作品。
大昔、幾つか彼女の作品を読んだがその中で一番好きだったのがこの「さすらいの孤児ラスムス」だった。孤児院にいるラスムスはお金持ちにもらわれるのが夢なのだが、そんな人々が欲しがるのはいつも縮れ毛の女の子。針毛の男の子である自分はもらわれる可能性はないに等しい。決してひどい所ではないけど孤児院の厳しい先生から怒られたラスムスはそこを飛び出して行く。そしてのんびり放浪しては歌を歌って暮らしている男・オスカルに出会う。神様のカッコウ鳥(だったと思う)と名乗るオスカルとラスムスの放浪の日々が始まった。

てな話で泥棒と出合ったりする冒険活劇もあり。孤児院に残してきた親友の事をずっと思いやるラスムス。
そして金持ちの農家にもらわれそうになったラスムスの決意は。アメリカに移住して行った人々が住んでいたと言う海辺の村の様子があったりしてなかなか映画的なイメージが膨らんだものだ。

針毛を気にしてるラスムスがかわいい。日本人的にはストレートヘアの方が良いんですが(あ、くせっ毛もまたよしです)オジサンである(とラスムスは思ってるけどきっと若いんじゃない?多分30歳くらいかも)オスカルが巻き毛なのがおかしい。
タグ:家族
posted by フェイユイ at 16:26| 香港 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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