映画・読書感想記事は基本的にネタバレです。ご注意ください。

2006年05月24日

植草甚一「映画だけしか頭になかった」の中の「羅生門」

羅生門.jpg羅生門2.jpg

昔、植草甚一さんの本が好きでよく読んだものだ。氏の本はおしゃれで知性があって物知りでとても楽しかった。タイトルからして「ぼくは散歩と雑学がすき」とか「雨降りだからミステリーでも勉強しよう」だとか「知らない本や本屋を捜したり読んだり」なんてわくわくするようなものだった。

それで図書館で見つけて懐かしくなり「映画だけしか頭になかった」を借りてきた。
植草さんが好きな監督はヒッチコックとトリュフォーなんか。これでも趣味がわかると言うものですね。そういう時代の映画のタイトルがずらりと並んでいて殆どが西洋のものであるわけですが、この中に黒澤明監督の「羅生門」について書かれているものがあった。

「羅生門」が西洋で大いに受けた事はもう誰でも知っていることなのだけれど、植草さんは1963年9月20日号のタイム誌を読んだ時に「羅生門」の最高の賛辞を見つけたという話。

その内容は氏が書かれているようにワンセンテンスを書いても表せないものなので是非本を読んで貰いたい。
この本の“「羅生門」は映画的落雷だった”の一節である。これだけでもちょっとじんとする。
ちょっと紹介すれば「日本映画は人工の菊であって、そこには真実性なんかないんだと考えていた人たちの腹黒い心を八つ裂きにしたのだった」という箇所に喝采を贈りたい。
この「羅生門」方式は現在でもかなり使われていてしかも大体において面白く出来上がる。一つの物事はそれに関わる人によって違う思いを抱いているのは当然のことだし、しかも人の考えは思いもよらぬことがままあるからだ。しかも「独りよがりだ」と悪口を言われずにすむしね。
例えばチャン・イーモウの「英雄」とかこの前見たデンゼル・ワシントンの「戦火の勇気」もそんな感じであった。
無論「羅生門」の面白さはその奇抜な手法だけに終わるわけではない。三船敏郎、京マチ子の肉体の魅力と迫力ある戦いの場面そして光と影の美しさも比類なきものだったと記憶する。

まあ。いつまでたっても黒澤明ばかりではね、という声もあるのだろうけど、植草甚一さんのそれも1965年の文章に感激してしまったので書いてみました。


posted by フェイユイ at 19:31| 香港 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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