映画・読書感想記事は基本的にネタバレです。ご注意ください。

2007年10月31日

昔の先生

最近、テレビのニュースで自分の中学時代の美術の先生を見た。
悪いニュースではなくいい方で、似顔絵の書き方を教えておられたのだ。先生は教師の傍らマンガも書かれていて且つ油絵でなんとか賞をもらって教師をやめ独立されたのだった。

無論随分と年をとっておられるわけだがどことなく印象が残っていたのと名前が特徴あったのですんなり思い出せた。それに絵を描かれてたわけだしね。

ただそれだけなんだけど、ぐーんと昔に引き戻されるような不思議な感覚だった。
映画ってこういうのよくあるけど自分で感じるとホント不思議なもんである。

posted by フェイユイ at 17:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月25日

同性に最も好かれる男性は

同性に最も好かれる男性は「ベッカム」=ウェブサイト

5位までのランクイン
David Beckham
マット・デイモン
ティンバランド
ロジャー・フェデラー
ジャスティン・ティンバーレイク

私は男に人気がある男が好きなのだな、と思いました。ってマット・デイモンとダニエル・クレイグとジョージ・クルーニーだけだが(笑)
ベッカムも好きだけど。
タグ:男性
posted by フェイユイ at 18:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 愛情 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月16日

何のために病院へ行くのか

具合が悪かったので病院へ行った。診察して何ともありませんと言われどういうものなのか、何が原因なのか聞いたのにも関わらず何も言ってくれない。薬を渡すと言われただけ。
薬をもらえるのはいいが、患者というのは不安だから病院へ行くわけで原因やどうすればよいかなど全く教えてくれないというのはどういうものなのだろう。薬以上に医者から優しい言葉をかけられきちんとした説明を受ける、その話し合いの部分が最も大切で必要であることをわかって欲しいのに。
決して安くはない料金を支払いながら一体何のために病院があるのか、そこへ行くのかよく判らないと暗い気持ちになって病院を後にした。
そのせいか、行く前より具合が悪くなってしまいますます困惑してしまった。病院に行かない方がよかったのかもしれない。
posted by フェイユイ at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月15日

蓮池の2羽のアヒル

近くのため池に2羽のアヒルが住んでいる。真っ白なのと胸だけが白い黒い奴。
通りかかるたび眺めるのが楽しい。
といっても何をするわけでもない。
白い奴はおしゃべりでいつもがーがー言っている。黒い方は控えめで時々短く、が、というだけ。
白い奴は好奇心旺盛で食いしんぼ。優しい人がパンを投げるとすぐ食いついていくがクロはあちらを向いているだけ。その優しい人はクロにもあげたくて一所懸命投げたけど何しろへなへなのパンなので遠くまで飛ばず結局全部シロが食べた。

蓮の花が咲く狭い池なのだが結構のんびり心が和む。
タグ:和み
posted by フェイユイ at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月13日

宮沢賢治

宮沢賢治の物語が好きで手元にもってる物を何度となく読み返しているがとにかく読み方が雑なので読んでいないものも幾つかあるという状態だ。
そういうのもきちんと読んでいきたいと思っている。

ところで中には読んでいたのにもかかわらず、なかなか意味が汲み取れないものもある。
『貝の火』がそのひとつだが、かわいいウサギの男の子ホモイが人助けをしたためにもらった貝の火の意味がわかりそうでわからない。
単純にホモイを「悪い人物」と受け止めて罰を受けた、ということにしていいのか。では貝は何をあらわしてるのか。

ホモイは無邪気な少年で溺れそうになった雲雀の子を懸命に助け、そのお礼として宝物である「貝の火」をもらう。水晶玉の中に美しい炎が絶え間なく燃えている。それを死ぬまで持ち続けた者は僅かだということらしい。ホモイは絶対自分は大丈夫と思っている。

素朴なホモイは助けた雲雀の子の醜さに驚き、宝物をもらったことで急にへつらいだした狐相手に威張りだす。
威張っている間はホモイがどんなに悪いことをしても貝の火は美しく燃えている。ホモイが悪賢い狐に恐れを抱いたとたん貝の火は曇りだし割れてしまうのだ。
ならば宝物と言われる「貝の火」は人助けをした者に対しどういう意味のお礼なのか。他人に暴力をふるっている間は美しく、怖れた時に割れるとは。しかもそれが割れた破片でホモイは盲目となるのだ(ホモイの父が「治してあげるから」と言ってることでもしかしたら一時的なものかもしれないが)
しかも死ぬまで持っていた者は僅かというがそれならその僅かな人たちだけは死ぬまで他人に酷いことをしていた、ということなのか。
狐にそそのかされたためとはいえ、モグラに対するホモイの行動は惨いものである。
だが一方親孝行な面であるとか時には過ちを反省する気持ちから見てもホモイが完全に悪者であるとも言いがたい。
つまりはホモイという人格は非常にリアルな人間的な造形になっているのだが。
「貝の火」が曇る時、読んでいても勿体無いという気持ちになる。どういう気持ちであったとしても雲雀の子の命を救ったのにどうしてホモイはこのような試練を受けなければならなかったのか。

判りそうでいてなんだかわからない。今後の謎解きである。
posted by フェイユイ at 14:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月08日

『大江戸死体考』氏家幹人

氏家幹人氏の『大江戸死体考』というおっかないタイトルの本を読んでいるところだ。土左衛門だの心中だのはたまた刀の試し切りとさすがタイトルどおりの怖ろしげな話が続く。
その後に書かれていたのが「胆を取る話」とこれまた胆の冷える話である。
つまりは人間の生き胆が病に効くという信仰めいたことから死刑囚からできるだけ新鮮な胆を取り出す、というのならまだしも生きたままの少年から生き胆を抜いてしまう、という残虐極まりない話はさすがに縮み上がってしまいそうだ。

そういえばこのブログで以前、山本茂実「あゝ野麦峠」の中で工女が惨殺され下腹部がえぐられているという話が挿入されていてグロテスクなミステリーというその逸話があの物語の中で不思議な印象を落としていた。
さすがにTVの時代劇でこのような話は扱われないのではないか、と思うのだが(違うだろうか)巷ではこのような信仰めいたものがあったというのは恐ろしいことである。
今はそんなことは、と思うに生き胆どころか様々な内臓を生きている人間から取っているのが現実にあるわけで。中には色々な事情がある場合もあるだろうが結局昔とあまり変わってもいない、どころか進行しているのだな、と考えさせられてしまうのだった。
posted by フェイユイ at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

まだ終わらない

やっと解放されたか、と思ったのも束の間。まだ彼のことを忘れられないと言って苦しんでいる。
彼自身が何かを言いに来るわけではないのだから苦しみは彼女の中にあるわけで。
自分の心を操るというのは難しいことなのだなあ、とため息をつくしかない。
posted by フェイユイ at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 男と女 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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