映画・読書感想記事は基本的にネタバレです。ご注意ください。

2006年11月30日

ジェームス・ボールドウィンの「もうひとつの国」を映画化するなら

以前に一度記事にした「もうひとつの国」いつかきちんと書きたいと思いながら書けずにいた。自分の中であまりにも浸透してしまいどう表現していいのか見つからないのだ。
今もよくわからないのだが、少しだけ思いつくことを書いてみる。

極めて明確にリアルなタッチで書かれたこの作品は自分の中ではクリアな映像として浮かび上がってくるのだが、それでもいつかアメリカ映画として観てみたいものだと願ってきた。
だが(多分)その願いはかないそうにない。
物語の最後に1961年、と書かれているからすでに45年もの月日がたっているのだ(私もまだ生まれていない)
なのにその内容はいまだに古びた感じはしないし、そこに書かれている問題はいまだに解決してもいない。

この物語が(実際に映画化したい人がいるかというのは別にしても)映画化が難しく思えるのは、この物語の核となるのが二人の黒人の兄妹であるから、ではないのだろうか。
しかも二人は自分たちが黒人であることで白人から酷い差別を受けるということを繰り返し訴えるのだ。特に黒人のアイダを愛しながら白人であることで拒否反応を示されるイタリア系白人ヴィヴァルドは苦悩し続ける。
黒人作家であるボールドウィンがこの作品を書いて45年たった今でもその問題がなくなったとは言い難い。映画にしても黒人と白人がこのような形で苦悩をぶつけ合いまた愛し合うというものは数少ないのではないのだろうか。
そして黒人男性ルーファスが白人女性レオナに対してのサディスティックな恋愛(黒人のルーファスが白人のレオナを殴る)、同じくルーファスと同性愛者である白人エリックとの関係などどれも非常に問題を抱えている。

その分同じ白人同士、といってもフランス人の若者イーヴとアメリカ白人エリックの恋愛は同性愛とはいえほっとする雰囲気に満ちていてしかしこの白人の男性同士を黒人のボールドウィンがこうも魅力的に描いているのも不思議なのであった。

そのエリックとヴィヴァルドが(ヴィヴァルドは異性愛者なのにも関わらず!)肉体関係を持ってしまうのもこの物語の「いけない関係」の一つなのであろうか。もう一つ同性愛者のエリックが人妻と不倫関係に陥る。
まったくやってはいけない図鑑である。

「もうひとつの国」を映画化して欲しい。ただしあくまでも黒人のルーファスとアイダを主体にした作品として。
黒人の兄妹が単なる飾りとしての映画になってしまうのなら作る必要はない。
posted by フェイユイ at 23:32| 香港 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月28日

「どくとるマンボウ青春記」北杜夫

北杜夫さんの本を熱心に読んでいた時期があった。人気シリーズ「どくとるマンボウ」ものである。なぜか小説の方はまったく読まなかったので申し訳ないが(後、村上春樹さんにとって変わる。氏の著書もエッセイばかりで小説を読んでいない)

好む本に限ってどこかに失くしてしまうことがままあり、北杜夫さんの著書で一番好きな「青春記」がどこかに行ってしまった。いつか出てくるだろうと思っていたがとうとう見出せず急に読みたくなって購入した。
久し振りに読む「どくとるマンボウ青春記」は思った以上に面白く、「果たして若くして読んでいたあの時期、本当に理解していたのか?」などと自分に疑問を持った。
これを読んでいた当時は私がこの中に書かれている青春時代である。書いているマンボウ氏は今の私よりも若いがそれでも自分が年老いて旧制高校生だった青春の日々を思い出して書いているのだ。その文章は若き日の愚かさと輝きを懐かしみ、笑い飛ばし、恥じ入り、憧憬も混じっているであろう愛情に満ちた筆致で書かれている。

はっきり言って若き自分にこの文章の面白さ、切なさを理解できているわけはない。
氏の文章の巧さ、おかしさそして旧制高校生という未知の世界に感心して読んでいたのだ。まあ、それはそれで充分楽しんで読んでいたのだ。

実はまだ全部読み返してはいない。
読み終えるのももどかしくまた勿体無く、自分が(運のいいことに)体験することはなかった「戦時中戦後の苦い青春時代」を今再び味わっているところなのだ。
ラベル:青春
posted by フェイユイ at 18:32| 香港 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月18日

「子供が生まれなくなった世界」

「トゥモロー・ワールド」という映画が来ていて「子供がいなくなった世界」というコピーを聞いて昔読んだ小説を思い出した(映画は観ていない)

と言ってもタイトルも作者も覚えていない上に「子供がいなくなったら」というテーマの物語は数多くある。
(ねたばれ注意だが、どうやって注意してもらうやら)
ひどく冷たい乾いた文章であった。
主人公の男はもういい年(30ないし40くらい?)なのだが世界で最も若い人間の一人なのだ。彼より年下の人間は存在しない。
生まれてくる子供は(惨い言い方ですみません)異常児ばかり。
若い彼は年上のものたちからずっと性的虐待を受けてきていた。普通かわいがられそうなもんだけどこの辺の描写がかなり容赦なかったような記憶。
が、奇跡的に若い女が生き残っており、主人公の男は彼女に夢を託して交渉を持つ。が、生まれてきた子供は結局異常児で彼女も死んでしまう。
というような夢も希望もないストーリー。
多分世の中に警鐘を鳴らす意味で書かれたのだろうが、全編惨たらしい雰囲気に満ち満ちてました。
北欧の小説だったような気がするけどとにかく何も覚えていない。
勿論、記憶のみで書いたので内容にも自信はありません。間違えてたらすみません。
このストーリーじゃ映画化は無理ですね。誰が観るであろうか。
でもこの映画の原作もかなり惨そうですね。
人間、怖い疑似体験をしてみたい気持ちはあるのだな。
posted by フェイユイ at 10:13| 香港 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月09日

いじめられていたあの子

小学生時代、いじめられていた男の子がいた。色が白くておとなしくて、勉強はそれほどできなかったんだと思う。強い男子たちのかっこうの餌食であった。
一体どうして突然だったのか覚えていないけど、ある日、音楽の時間にその弱い男の子が一人で歌を歌った。何をやっても下手なはずのその子の歌声はまるで天使のように響くボーイソプラノだったのだ(なんというか、まるでウィーン少年合唱団のような歌声だった)いじめっこも他の子もぽかんとその響き渡る歌声を聞いた。その子の声は他の単に上手い子とも完全に違っていた。透き通るような輝きを持った歌声だった。

神様というのはなんと不思議なことをするものか。

時代や場所が違えば(田舎だったからね)その子はもっと活躍することもできたんだろう。私は「もったいないよ」と思ったものだ。
ボーイソプラノは終わりを告げる。
その子の声もいつしか大人の男の声に変わってしまった。
ただあの時までいじめられっ子だった彼はその日から変わってしまった。いじめっ子だった男子はその子の前に行くとなぜかもういじめることができなくなってしまったのだ。
不思議なことだった。
そのいじめられっ子だった子はおとなしいままではあったけど以前のびくびくした子ではなくなった。

すべてのいじめがこういう風に変わることは殆どないのだろう。何かの才能がなければいじめていいわけでもない。
ただ私の中でその美しい歌声と共に記憶に残っている。
posted by フェイユイ at 18:29| 香港 | Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月04日

ヒロトとマーシー

先週の日曜日の話だが(笑)クロスFMに「クロマニヨンズ」のヒロトとマーシーが登場。
相変わらずの様子。今はもうたまにしか見ないのだが、雑誌で二人を見て驚いた。
いつまでも若いなあと思っていたのだが、さすがに年齢を感じさせるものがあったからなのだ。でもそれはただの写真だからであってやはりいつまでもロックな心を持ち続けている二人なのであった。

ヒロトはずーっと車の免許を取ってなかったのでコンサートやレコード店に行く時いつもマーシーに乗せてってもらうのがありがたかったそうだ(笑)
ずっと友達ナ二人である。
しかしヒロトは乗せていってもらってるくせに「あんまり迎えに来るのが早過ぎる」と文句言ってた。
ローリングストーンズのコンサートの時も迎えに来てもらったんだけど2時に来た、早すぎ。だそうである。確かに早いがマーシーは少しでも多くストーンズの音を聞きたかったんだよ。実際、練習中の音を聞けて一曲もうけたと喜ぶマーシーであった。よかったね。
ラベル:ラジオ
posted by フェイユイ at 00:04| 香港 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月02日

猫ごはん

今はもういないんだけど(お空に行った)以前猫を飼っていた。
猫の話(というかペットは何でもそうだと思うけど)というのはなんともおかしくて他人事でもつい聞いて(読んで)しまうものだが、うちのもなかなかとぼけた味わいのある奴であった。

猫に留守番をしてもらって家族で出かけ帰宅すると、どういうわけか途端にえさ皿に走っていってポリカリ(ドライフードです)するのだ。
今まで時間はたっぷりあったんだから、留守中にゆっくり食べればいいものを帰宅するとポリカリ。
ふーん、やはり一人でご飯を食べるのは味気ないのか?

そして食事は特定のキャットフードに限るものであって他社のは受け付けないのであった。上等のキャットフードも駄目(もらい物とか)
そして花を生けていて植物の汁が出た水を飲むのが好きだった。これは見た目にかなりうげげで、おなかを壊さないかと思ったけど。逆におなかによかったのだろうか。

猫話はつきない。思い出しては書くことにしよう。
ラベル:
posted by フェイユイ at 18:33| 香港 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月01日

「赤毛のアン」の膨らんだ袖

「赤毛のアン」は特に女性にとっては話題の宝庫だが、自分と重ね合わせて思い出してしまうものの一つに膨らんだ袖がある。

いつもマリラから最小限の布地でキチキチの服しか作ってもらえないアンの夢は膨らんだ袖の服なのだが、私の少女時代も膨らんだ袖がはやっていてやはり憧れたものだった。
いつもはズボン姿が好きな私も膨らんだ袖のワンピースやブラウスを着てみたいと思ったのだ。
「赤毛のアン」が関係したのか偶然なのかわからないが親が買ってくれた膨らんだ袖のワンピースは濃い茶色のもので、レイチェル夫人が赤毛に似合うと言った色と同じである。
勿論アンが着た服と同じ色かどうかはわからないが何となくうれしく思ったのを覚えている(残念ながら自分は赤毛ではなかったが)

あの時以降、一部趣味の人を除いては一般に膨らんだ袖は流行ってないようだ、どうだろう。

自分の少女時代の思い出と共に女の子の憧れといえば膨らんだ袖、というイメージが私の中にはある。
ラベル:ファッション
posted by フェイユイ at 23:38| 香港 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。